原子力人材の養成を通じて、未来のエネルギー政策に貢献したい

鈴木 徹先生東京都市大学理工学部原子力安全工学科 教授 鈴木 徹先生

求められる原子力人材という選択肢 ー国内大学最大級の原子力教育・研究の拠点、東京都市大学理工学部原子力安全工学科を訪ねてー

国内でも稀有な“原子力”を冠した学科を持つ東京都市大学では、前身の武蔵工業大学時代の1960年に、原子力の平和利用推進を目的として「原子力研究所」が開設され、全国の大学の共同利用施設として様々な活用がなされてきました。現在、原子炉は廃止されていますが、放射性同位元素の取り扱い施設として原子力安全工学科や早稲田大学との共同大学院「共同原子力専攻」の実験実習に活用されており、学生が“原子力や放射線”について理解を深める機会を提供するとともに、社会貢献を目的とした施設としても利用されています。今回、ここ数年でエネルギーを巡る社会情勢が大きく変動している中で、人材育成の必要性が高まっている同大学原子力安全工学科を訪ね、教育・研究の内容や分野・領域の将来性、高校生へのメッセージを伺いました。

理工学部 原子力安全工学科とは?どんな分野が学べるのか

本学科は原子力工学、原子力安全工学、放射線工学、サイクル工学という原子力工学の4つの柱を、原子力システム工学、原子力安全工学、放射線工学の3分野【表】にアレンジしており、10の研究室を設置しています。基礎から応用に至るまで、原子力工学のほぼ全ての分野をカバーした研究を行うとともに、倫理観を持って原子力の安全を支え、新しい時代を担う原子力技術者の養成を目指した教育も行っています。

また、大学院もユニークで、日本国内における連携大学院の先駆けとなった『共同原子力専攻』を早稲田大学と共同で設置しています。

教育の特徴は?

日本技術者教育認定機構(JABEE)※1に認定されているように、技術者として必要な知識と能力を身に付けるためのプログラムが組まれていて、「世界に通用する技術者」になるための学びが用意されています。まず1、2年生では、講義を通して基礎知識※2を学ぶとともに、電気・機械・放射線に関する実験を通して基礎的な技術を身につけます。多くの高校では教科書中心の学びだと思いますが、本学科では、電磁気学や力学など多くの分野を実際の実験装置を使って学んでいきます。工学は「物を創る学問」であるからこそ、物に触れ、手を動かして学ぶことは効率的で、卒業後に社会で「即戦力」として活躍する場も広がっています。

※1 JABEE:(一社)日本技術者教育認定機構。1999年設立。「技術者に必要な知識と能力」「社会の要求水準」などの観点から“教育プログラム”を審査し、認定する非政府系組織。通常、工学・農学・理学系の学科あるいは学科内のコースに対応する。認定プログラムの技術者教育は国際的に同等であると認められる。

※2 代表的な講義が工学教養の一つ『原子力汎論』。これは他学科や他大学の学生も受講可能。

本学科卒業生の約半数が大学院に進学

学部3年次からは、専門性の高い各研究室に分かれ、大学院生とも関わりながら、最先端の研究に触れていきます。研究室によっては原子力発電にかかわることだけでなく、医療用の放射線や加速器を使った資料の分析技術なども学べますから、学部や大学院を問わず、就職先は電力会社や原子力プラントメーカー以外にも様々な業種・業態に広がっています。

また、本学の原子力研究所では、放射線を用いた外科手術によって多くの患者の命を救ってきただけでなく、放射化分析による環境中の微量元素の解析等でも国際的な研究成果を収めています。

私の専門と、ここまでの道

学部および大学院の原子力安全工学分野において、原子力プラントの安全性を高めるための研究を行っています。具体的には熱流体工学※3という学問をベースに、プラント内部を循環する「流れ」の中から、安全性向上の観点から重要なものを取り上げ、基礎実験とコンピュータシミュレーションを駆使してその「流れ」を詳細に分析し、制御する方法を研究しています。実は私が博士号を取ったのは原子力とは一見関係のない化学工学という分野で、生体内における血液の循環システムに関する研究でした。現在は、それを原子力プラント内の循環システムの研究に活かしているわけです。

自然科学では、全く異なる対象であっても同じ原理や方程式が当てはまることがよくあるのです。私は高校時代、天体の動きを説明する万有引力の法則が、プラスとマイナスの微小な荷電粒子の振る舞いにも当てはまることを知り、目から鱗が落ちる経験をしました。これも異なる対象に同じ原理が働いているという良い例です。

大学院で博士号を取得した後に原子力分野の研究へ進んだのは、日本のエネルギーの将来を考え、資源の多くを輸入に頼る日本において、原子力という選択肢がとても魅力的に思えたからです。日本の研究所でポスドクを終えた後、ドイツの大学で4年間、EUやIAEAが進めるプロジェクトに参画し、その思いは一層強くなって現在に至っています。ちなみにドイツは20年近く前、国内のすべての原発を廃止することを決めて順番に稼働を止め、つい最近、最後の原発が停止してしまいました。しかし、ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、エネルギー供給に不安を感じる国民の6割が原発の再稼働を望んでいるという調査もあり、歴史の皮肉を感じます。

※3 原子力プラントの配管内を流れる水蒸気のように、熱を持つ流体の圧縮性を考慮して「流れ」を取り扱う学問分野

原子力人材入試で、意欲の高い生徒を

本学の総合型選抜では、原子力安全工学科で教育を受けるに十分な基礎学力を有し、明確な目的を持って原子力・放射線に関する専門的な知識・技能の修得を志望している者を対象とした「原子力人材入試」を導入しています。

この入試は、原子力や放射線について学び、将来その知識・技術を使って社会に貢献したいという志のある高校生を対象にしています。年々志願者数は増えており、原子力に対するみなさんの関心が高まっていることを肌で感じています。もちろん他学科と共通の入試方式もありますから、原子力や放射線についての知識や技術を身につけ、それを土台に異なる分野の研究や課題解決に挑戦したいという人にも門戸は開かれています。

東日本大震災以降、日本では原子力規制庁が設置され、各電力会社は世界最高水準の安全性を備えた原子力発電プラントを目指しています。世界に目を向ければ、小型モジュール炉、ナトリウム冷却材を使った高速炉などの開発に積極的に乗り出している国々もあります。発電プラントに限らず、船舶用や宇宙船用の小型原子炉の実用化や、放射線を利用した様々な医療技術の開発も欠かせません。

電力エネルギー、原子力に興味がある、安定したエネルギーと豊かな生活を確保するにはどうすればいいか悩んでいる、福島事故の復興に貢献したい、さらには、安全で、新しい原子力エネルギー発電施設を作りたいなど、世界を視野に、そんな大きな夢を持った高校生のチャレンジを待っています。

高校生へのメッセージ

高校時代には、大学の研究の基礎となる様々な教科を着実に学んでおいてほしいと思います。一つひとつの教科の学びを深めていけば、他の教科との間に共通する法則などを見つける喜びも味わえるかもしれません。また、原子力や放射線というのは、社会に対してきわめて高いコミュニケーション能力が求められる研究分野です。探究学習などにおいて自ら課題に取り組み自分なりの答えを導き出し、様々な人達との議論やコミュニケーションを通して自分の答えを確かなものにしていくというプロセスも非常に重要だと思います。理系に限らず、法律や世界情勢など社会科学的な視点も交え、日本や世界の将来について議論を深めていってください。

原子力発電所の再稼働や高速増殖炉等の新型炉の開発の是非なども、理系・文系を問わず、とてもいい題材だと思います。ちなみに、今夏の本学の「オープンミッション」※において、本学科では高校生に「地震から金魚を守る」というテーマに取り組んでもらいました。様々なアイデアに基づく装置を持ち寄って実際に実験を行ってもらい、どのような方法が一番効果的に金魚を守れるのか、活発な議論が行われました。

※「オープンキャンパス」とは異なり、期間は約3か月。参加者には探究活動とその成果についてのレポート作成や発表が求められる。大学の研究施設・設備や図書館を体感しながら、大学教員やサポート学生とともに高度な探究学習に取り組むだけでなく、成果を総合型選抜などの年内入試に生かせる。入学への動機付けになるとともに志望動機を確認する手段としても注目されている。高校生にとっては、大学入学後の研究活動を短期間でシミュレートできる機会にもなる。

このような取組を可能にしているのが、近年の一連のカリキュラム改革。2021年度から導入された、ゲームチェンジ時代を切り拓く人材育成を目指す「ひらめき、こと、もの・くらし・ひと」づくりプログラムは、これまでのものづくり教育の抜本的改革を目指すカリキュラムとして、文部科学省の「知識集約型社会を支える人材育成事業」にも採択された。具体的には、新設科目を加え、従来の科目をひらめきづくり14単位、ことづくり14単位、ものづくり48単位、ひとづくり28単位に再編した。

原子力研究所【王禅寺キャンパス】
理工学部の研究室が入る新研究棟【世田谷キャンパス】

生成AIとどう向き合うか 生成AIの登場と大学教育

金丸 敏幸 先生京都大学国際高等教育院・准教授 金丸 敏幸 先生
~Profile~
京都大学博士(人間・環境学)。専門は、外国語教育(英語・日本語)、理論言語学(認知言語学・コーパス言語学)。コーパスやICTを活用した言語研究や言語教育に関する教育研究に従事。2015年度に「国際言語実践教育システム(GORILLA)」を開発、翌2016年度より京都大学の全学共通科目英語において、統一シラバスの下、GORILLAによるe-Learningを活用したカリキュラムの実施運営に携わる。大分県立大分上野丘高校出身。

日本は世界をリード?

2022年11月にChatGPTが世の中に登場して、そろそろ1年になろうとしています。ChatGPTの登場は、日本だけでなく、世界にも大きなインパクトを与えました。とくに教育界に与えた影響にはとても大きなものがあります。当初、世界の主要国の立場は生成AIを教育に導入することに否定的でした。そのような中で、日本は比較的早くから生成AIの活用に目を向けていて、7月には文部科学省が生成AIの利用についてガイドラインを発表しています。これまでどちらかというと新しい技術の導入には否定的、またはあまり積極的ではなかった日本ですが、こと生成AIについては世界をリードする立場を取っていると言えるでしょう。

大学も生成AIについては大きな関心を寄せています。東京大学が5月に学生に向けて方針を示して以来、多くの大学で生成AIの利用についての方針やガイドラインが公表されています。これらを見る限り、多くは利用を禁止はしないものの、利用については十分に注意すべきであると述べています。とくに、課題やレポートに生成AIの出力をそのまま使用することについては、不正行為の恐れがあるとして禁止しているところが多いようです。また、利用する際には著作権やセキュリティ面に気をつけるよう呼びかけています。

大学では多くの講義や演習が行われていますが、その中でもとくに影響を受けると見られているのが、プログラミングと英語(外国語)の科目だと見られています。どちらも言語(プログラミングは人工言語と言われます)に関する科目であることから、言語を出力するAIと相性が良いのは当然です。

プログラミングを学ぶ科目では、生成AIがプログラムのエラーを修正してくれたり、途中まで入力することで、残りを補完してくれたりする機能を利用しているようです。実際のソフトウェアの開発現場でも、生成AIは幅広く導入されていることから、今後、この分野での活用は加速していくことでしょう。

どうなる?どうする大学英語教育

さて、それでは英語の授業と生成AIはどのような状況なのでしょうか? 現在のところ、大学や学部として積極的に導入を進めているところは多くありません。ほとんどの大学は、これからどのように活用できるかを模索しているところのようです。このような状況で、英語授業に生成AIを積極的に活用しようとしているところとしては、立命館大学の生命科学部が挙げられます。プロジェクト型の英語授業にAI技術を取り入れることによって、アウトプットの精度を高めることを目指しています。

生成AIを積極的に活用する英語教員の間では、この1年で生成AIの活用に関してかなりノウハウが蓄積されてきました。有効な活用方法としては、たとえば、学生が書いた英文を生成AIに修正してもらって、どのように修正したのかをAIに説明させるというものです。これまで学生が書いた英文は英語話者か教員が見るしかなかったわけですが、第三の選択肢(しかも、24時間対応してもらえる)が登場したことで、学習の幅が大きく広がる可能性が出てきました。

生成AIの活用は良い面もありますが、当然、懸念も出てきています。実際のところ、当初心配されたような、英語をそのまま日本語に翻訳させる(逆に、日本語を英語に翻訳させる)という使い方はあまり広がっていないようです。そうではなく、生成AIを上手に使える人とそうでない人の差が広がることが、これからの問題として考えられています。上に挙げたように、生成AIを上手に使えば、一人でどんどん英語学習を進めて行くことができますし、一方で、使わない人、使えない人はそのままです。

また、生成AIを使って英語を学ぶには、AIの出力する英語を理解したり、時には間違いに気がついたりするだけの英語力が必要です。

つまり、英語力があって、生成AIを使って英語を学べる人は、今後、ますます英語力を伸ばしていくことができるようになります。また、生成AIを使うことで英語による情報をどんどん取り込んだり、英語で発信したりできるようになります。そのため、生成AIを上手に使えなかったり、英語力が不足していたりする人との差は開く一方です。できるだけ多くの学生に、生成AIによる英語学習の好循環に乗ってもらえる仕組みを作っていくことが、これからの英語教育の鍵になりそうです。

生成AIの発展は止まることはないでしょう。この技術を活用することは、日本の大学にとって国際化を推し進める大きな助けにもなります。生成AIによって言葉の壁を低くすることで国際的な発信や受け入れを高めていき、人材交流をもっと盛んにすることが可能になります。学生も生成AI時代に適応した英語力を身につけることで、ポストコロナ時代の国際化時代を生き残っていけるようになるでしょう。生成AIに依存するのではなく、生成AIを上手に活用することで自らの能力を伸ばしていけるように舵を切ることが求められています。

「大学入試学」始まる

「大学入試学」という新しい研究分野の創出を目指した学会が設立に向けて動き出した。来る12月17日(日)には東京で、その発起人会(設立総会)が開催される【於:一橋大学一橋講堂(学術情報センター内)。14時30分から16時まで】

同会の設立準備委員会によれば、その使命は、「大学入試という現実の制度を中心課題に置きながら、それについてこれまで学術研究の対象とはみなされなかった関連する諸分野も含め可視化し、そのアカデミックな価値を明らかにし、制度の説明責任の向上を目指す」とともに、「現在の仕組みについて、学問的知見を伴ったエビデンスを基に、改善のサイクルを作り出すこと」とされる。

大学入試は明治時代以来、多くの若者の人生を左右する重要な制度でありながら、このようなアプローチがなされてきたとは言い難い。ネーミングをズバリ大学入試としたのは、なじみのある言葉を使うことで、アカデミックな価値の追求に終わらず、日本社会の在り方に密接にかかわるより良い未来を導く知恵を生みだすことを強調したいためという。

同会はまた、近年の大学入試改革にあわせ各大学で活発化している入試専門部署への適切な専門家の配置を視野に、その育成に資するアカデミックな研鑽や、キャリア形成の場も提供したいとしている。このことは今後の日本の大学の浮沈を左右する重要な鍵になるからだ。

さらに将来的には、グローバル化の進展に合わせ、独自に発達を遂げてきた諸外国の制度との接続も改善していきたいとしている。

具体的な研究テーマとしては、大学入学者選抜制度(歴史や諸外国のものも含め)、大学入試の方法、評価・測定法、大学入試政策、進学動向分析、個別大学の学生獲得戦略、高大連携の実践事例、入試の実施結果の評価、入試にかかわる追跡調査、社会階層と大学進学、高校等におけるキャリア教育・進路指導、受験生の心理、大学だけでなく、短大、大学院、高校や高専の入試などを例示している。

学会の下には、高校・大学関連団体の協議会を設置し、相互の研鑚や情報交換の場とする。ステークホルダーである高校と大学にはこれまで、互いの実情を認識し、より良い制度設計に向けて、知恵を持ち寄る場が少なかったからだ。

高校協議会は、高等学校(中等教育学校を含む)やそれらが組織する進学指導関係の団体(例えば,○○県進学指導研究会)で構成。原則として高校ないしは複数の高校で構成される団体が加盟する。大学協議会は大学入試に関わる組織で構成。いずれも個人メンバーの特定は行わず、加盟団体に所属する教職員をメンバーとする。

方向性としては、大学入試センターが主催する「全国大学入学者選抜研究連絡協議会(入研協)」とは一線を画す。また、学会設立数年後には「日本学術会議協力学術団体」の指定を目指し、出版物(学会誌や学術書等)の制作、刊行なども予定している。

設立委員会では、大学入試に関心がある人々、関連する分野の人々でこれらの趣旨への賛同者に参加を呼び掛けている。

詳細は以下に

https://www.jaruas.jp/

情報学と工学、生物学を融合 人の感覚・知覚拡張から昆虫の感覚研究へ。昆虫ロボットの開発から「動きの標本」作りまで

永谷 直久さん永谷 直久さん
~Profile~
1982年生まれ。2011年電気通信大学大学院電気通信学研究科博士後期課程単位取得退学。2012年博士(工学)。日本学術振興会特別研究員(DC1)。東北大学大学院情報科学研究科研究特任助教、八戸工業大学防災技術社会システム研究センター博士研究員を経て、2015年4月より京都産業大学コンピュータ理工学部助教、2018年より現職。ヒトの感覚知覚特性を利用した感覚拡張インタフェースや節足動物の行動解析の研究に従事。宮城県仙台第一高等学校出身。

研究室をのぞくと、機械系の工作室のような一画が目に飛び込んでくる。奥へ進むと、ブルーのプラスチックでできた巨大なダンゴムシの姿が。情報学、工学、生物学が融合する不思議な空間の主が、人間の感覚・知覚拡張※から生物の感覚までを研究されている永谷直久先生。その多様な研究・教育の一端をご紹介します。 ※テクノロジーを使って、感覚知覚機能を拡張させること

人間らしいロボット作りから虫研究へ

 学生時代は、学部から博士課程まで電気通信大学の知能機械工学科に在籍していました。小学生の頃に憧れたドラえもんの影響か、人間らしいロボットを作ることに関心があり研究の道に進みました。しかし当時は、今ほど人工知能は発達していませんでしたから、人間らしい「動き」の原因となるヒトの感覚・知覚の究明に、VRを使ってアプローチしている研究室に入りました。ここでは特定の電気的な刺激を与え、感覚や知覚を拡張させる研究などを行っていましたが、工学科ということもあり、人の感覚や知覚、行動を計測するだけでなく、それに必要な実験装置も作っていました。

 長らく人を対象に研究する中で、人らしさを深く理解するためには他の生物との比較も必要ではないかと感じていたところ、本学赴任前に所属していた研究室がアリの研究をしていたことから、アリやダンゴムシなどの行動観察も始めました。以来、生物系の研究者ではないにもかかわらず、虫の行動も研究対象に含め、そのためのVR実験装置『ANTAM』など、虫専用の観察装置の開発も行っています。

VR実験装置『ANTAM』

虫が操縦する?逆転の発想から生まれたANTAM

 虫の行動観察研究には長い歴史がありますが、私たちは、これまで目視で行われていた行動観察に、データ計測を基にした定量的な手法を導入して、新たな知見を得ようと考えています。そのために工夫した装置がANTAM。また、その改良版のANTAM-Qでは回転する透明な球体上に虫を置き、裏側(腹側)から移動行動をカメラに収め、脚や触角などの特徴点を抽出して追跡することで、自然環境に近い行動軌跡、運動データを収集します。 今日、深層学習は急速に進歩し、得られたデータを自動的にかなりの精度で数値化できますから、これまで捉えられなかった細かい動きまで見ることができ、昆虫学の世界では数十年前ぐらいに確定した知見でも塗り替えられるのではないかと期待しています。

「動きの標本」作りの科学的価値は?

 ANTAMを使うことで、行動を数値化し、より詳細な行動データを取ることができますが、これは災害救助現場で活躍する昆虫ロボットなどの開発に役立つだけでなく、「動きの標本」としての価値もあると思っています。

 一つは科学的価値。例えば、オカダンゴムシも数十年後には違う歩き方をしているかもしれませんから、現在の動きを記録しておくことには博物学的な価値があるはずです。生物種の分類は、通常、形状やDNAが基準ですが、動きのデータも新たな基準になるかもしれない。人類の知的資産としての価値があると言ったら言い過ぎでしょうか。

 もう一つはエンターテイメントへの応用です。アニメーションやゲームのモデリングに、動きの標本を活用する。人のモーションキャプチャーは珍しくありませんが、虫のモーションキャプチャーはどうでしょう。ANTAMでたくさんの生物種の動きのデータが取れれば、虫を動かすのに、クリエイターが0から動きをモデリングする必要はなくなるかもしれません。さらに蓄積されたデータを分析することで、メタバース空間でリアルに近い動きをするアバターを作ったり、虫の知覚を詳しく解明して《虫の視点》を楽しんだりすることもできるかもしれません。何か、ドラえもんの秘密道具を使った世界を彷彿とさせませんか。

図工の続き、ものづくりの授業

 担当する授業の一つが、1年次秋学期開講の『デジタルファブリケーション』です。ファブリケーション(製造)ですから、3Dプリンタやレーザカッタなどを使って制作を行います。CADというコンピュータでの作図設計も学びます。デザイン系の先生と私の二人で担当していて、スマートスピーカをデザインするなど、美術系の大学に近いものまで作ります。1年次生が作業内容を理論的に完全に理解するのは難しいかもしれませんが、CADで作ったモデルが3Dプリンタから出力されると、「小学校の図工以来!」とみな嬉しそうです。私も、「失敗を気にせず、あのときの楽しさをもう1回思い出そうよ」とよく言っています。土曜日の集中講議ということもあり、学生にとっても教員にとってもややハードな授業ですが、学生の満足度はとても高くやりがいがあります。この授業を受けた学生が私の研究室に入ってくれることも増えてきましたし、履修者の制作物がIVRC(Interverse Virtual Reality Challenge)※で入賞し、フランスで開催されたVRイベントでも展示され受賞したこともあります。

※1993年から続く、学生を中心としたチームでインタラクティブ作品を企画・制作するチャレンジ。

探究学習に向けて 自由研究の精神を大切に

 研究を続けていく中で、小・中学生や高校生の自由研究からは大いに刺激を受けています。図工のワクワク感と同じように、素朴な好奇心に由来するものが多いからではないでしょうか。ダンゴムシについては、一般の方による行動研究が盛んですし、小・中学校の自由研究や、高校生の生物コンテストなどで高評価を得たものにはとても面白いものが多いです。オカダンゴムシがいる飼育ケースの近くにはカビが生えにくいことに着目し、フンの中に抗カビ剤の成分が含まれていることを発見した高校生の研究等には、素直にすごいなと感心させられています。

 これに比べると、私の研究は小学生レベルの知識でもできる簡単な研究をデジタル化しているだけです。ANTAMのような装置を作ることは技術的には難しいかもしれませんが、発想は、虫を普段見ない腹側から見たらどうだろうかというとてもシンプルなものでした。しかし、脚の動きをより詳細に分析できましたし、脚を使って排便をする!などの新発見もありました。見慣れた生物でもいつもとは違う視点で観察してみるのもおもしろいですね。

デジタル工作機器が揃う「ファブスペース」にて