杜の都の西北から 第3回 やはり大切なのはGRIT(グリット)

(学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員 小松 悌厚(やすひろ)さん
~Profile~
1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

高大接続改革等の進展を背景に、一斉に客観的な知識を問う従来型の大学入試は、いまや多様な入試形式の一部にすぎなくなった。代わって、個々の大学が独自のアプローチにより受験生の意欲や学びに向かう姿勢などを多面的に評価する新たな入試が拡がっている。かつて画一的だった大学入試は、多様性と柔軟性を重視する方向に着実に進化している。

これからの大学は、高等学校とも連携し、受験生一人ひとりの能力・適性をきめ細かく見極め、入学後の伸びシロも展望し丁寧に評価し判断することになるだろう。この方向はいわゆる名門大学でも変わらない。短期間の瞬発力や一発勝負は通用しなくなるわけだ。若者にとって大学入試は大きなライフイベントである。受験勉強は一朝一夕で終わるものではない。大学入学後も含めた長期的な目標達成への道程として捉えるべきであろう。

ところで、成功の鍵になるのは、才能や呑み込みの早さ、瞬発力ではなくGRIT(グリット)にあるという考えをご存知だろうか。GRITは日本語で「やり抜く力」とされている。ペンシルベニア大学の心理学教授であるアンジェラ・ダックワース博士は、GRITの重要性を科学的に究明したことで知られている。博士とその研究については、以前、東北大学の入試問題でも取りあげられたこともある。博士は、GRITに関する研究の功績が認められ2013年に米国で天才賞といわれているマッカーサー賞を受賞している。博士の著書は世界各国で翻訳・出版されており、我が国でも邦訳が出版されている(神崎朗子訳、ダイヤモンド社、2016年)*。TEDトークの視聴回数は1300万回に及ぶ。

余談になるが、私がGRITについて知るところとなったのは、勤務する東北文化学園大学の加賀谷豊学長が式辞の中で紹介されたことによる。加賀谷学長は、先ず入学式の訓示の中でダックワース博士の研究やGRITの重要性を説かれた後、新入生に卒業後の理想の自分を想像する時間を与え、その後GRITにより「なりたい自分」の実現に向かって地道に努力することの大切さと大学の役割を説示されていた。

GRITに関するダックワース博士の研究を簡単に紹介すると、その要点は、学問を含むあらゆる分野において成功している人は、知能指数が高いとか、特別な才能に恵まれているのではなく、長期的視座で目標を設定し、その実現に向けて「情熱」と「粘り強さ」をもって継続的に努力し、苦難に立ち向かい困難を乗り越えた人だったというものだ。この「情熱」と「粘り強さ」を構成要素とする力がGRIT(やり抜く力)なのである。GRITは先天的なものではなく、いつからでも獲得でき、さらには向上させることができるとされる。著書には様々な実証研究やエピソード、GRITの伸長方法や測定スケール等も紹介されているので一読をお勧めする。

大学受験生にとってもGRIT(やり抜く力)は非常に重要であると言える。単なる知識や才能だけでは目標は達成できない。長期的な視座、継続的な努力、熱意と粘り強さこそが、成功につながることを改めて強調したい。

※アンジェラ・ダックワース著 神崎朗子訳『GRITやり抜く力』ダイヤモンド社 2016年

杜の都の西北から 第2回 いつから「保護者」? いつまで「保護者」?

(学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員 小松 悌厚(やすひろ)さん
~Profile~
1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

 新型コロナウイルス感染症に対する規制緩和の流れの中で、大学にも賑わいが戻ってきている。学生同士が直接触れ合い、仲間と課外活動や学校行事を楽しめるようになったのは3年ぶりとなる。卒業式、入学式も今年は多くの大学でコロナ禍以前のように保護者の参加も可能となった。大学によっては、保護者がキャンパスを来訪するタイミングを捉えて懇談会を開催するなど、その後の大学との関係構築を図ろうとするところもある。保護者との信頼関係を基礎として学生の出欠その他の学修状況等を共有することで、学生が課題に直面したときも適切な支援が可能になる。多くの学生は、成人とはいえ未だ成熟途上にある。学生の教育をになう大学にとって、保護者との関係強化は、教育の質保証や教育効果向上に直結する重要な課題なのだ。

 ところが、近年、一部の大学で学生の父母等を「保護者」と称するのを避け、代わりに「父母」「両親」「親」等を使用する動きがみられる。その背景には、昨年施行された改正民法における成年年齢の引下げがあるようだ。法令用語としての「保護者」は、一般に未成年に対する養育義務を有する者をいう。そうなると成年しかいない大学生の父母等を「保護者」とすることは不適切だということだろう。確かに一理はある。しかし、それを根拠に「保護者」と呼ばず「父母等」とすることは妥当だろうか、少し考えてみることとしたい。

 学校法制で「保護者」は、就学義務に係る法令の規定として登場する。この義務を負う者について、教育令や第一次小学校令は「父母後見人等」と称していたが、明治23年の第二次小学校令では「学齢児童ヲ保護スヘキ者」となり、明治33年の第三次小学校令において「保護者」となった。同令32条は「学齢児童保護者ト称スルハ学齢児童ニ対シ親権ヲ行フ者又ハ親権ヲ行フ者ナキトキハ其ノ後見人ヲ謂フ」と規定している。この保護者の規定は、100年を超える歳月を経ているが、現在の学校教育法16条の規定とほぼ同じである。

 次に、「保護者」が学校や社会に受け容れられた経緯について考えたい。戦前は、「父兄会」や「母姉会」のように性別の組織が学校の支援を行っていたが、戦後は、文部省がPTAを奨励する中で「父母の会」等として広まっていった。

 その一方で、戦前由来の「父兄」語も根強く流通していた。それが、昭和の終わり頃には、父兄は、男尊女卑を連想させるとして批判され、これに代わる呼称として、「父母」の使用の動きがひろまった。ところが、さらに時代が下ると今度は、「父母」についても、父母の一方、親戚(代行者)、児童福祉施設の長、後見人などに養育されている子がいる現状に対する理解と配慮が足りないと指摘されるようになり、そのことで従前は「父母」と称していた向きも「保護者」の呼称を使うようになったわけだ。

 このように、社会の変化にともない家庭環境も多様化している中で、多くの人々に受け容れられてきたのが「保護者」だといえる。大学が自らの考えに拠って「保護者」を定義し呼称することは、それはそれであってもよいことではないだろうか。(続く)

杜の都の西北から 第1回 新しくて古い? “新”学習指導要領 (学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員

小松 悌厚さん
~Profile~
1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

 2021年度から、高大接続改革の一環である新たな大学入学共通テストが導入され、選抜方式は一般選抜、総合型選抜、推薦型選抜方式に移行した。入学者選抜、高等学校教育、大学教育を通じて一体的に学力形成が図られるようにするのがねらいだった。さらに、2025年度入試からは出題内容が大幅に変更される。大学入学共通テストでは、出題教科に「情報Ⅰ」が加わり、国語は、内容の拡充に伴い試験時間も延長されるという。地理歴史は、総合性を重視した科目と探究に係わる科目に再編成される。公民の現代社会の代わりに公共が設定される。数学は科目が再編され数学②の内容に数学Cが加わるとともに試験時間も延長となる。英語も新たな教科名に変更になる。

 共通テストをはじめとする2025年の大学入試内容の大幅な変更は、新しい高等学校学習指導要領の完全実施を踏まえたものだ。新しい学習指導要領では、内容を知識・技能、思考力・判断力・表現力等、学びに向かう力と人間性等の三つの柱で再整理し、主体的対話的で深い学びを進め社会で生きる力や社会で活かす力を培うことを狙いとしており、大学入試においても改善の趣旨が反映されることとなる。

 大学関係者は、2025年度から新しい学習指導要領の下で学んだ学生の学修を円滑に進めるために、これまで入試の改善や円滑な高大接続に資する初年次教育、その他の教育課程の在り方等の検討を幅広く進めてきた。目前に迫った新しいカリキュラム編成に向けた詳細設計を慌ただしく準備を進めているのが実情であろう。

 しかしながら、新しい学習指導要領の制定に至る経緯も含めて振り返ってみると、2025年度入試で受け入れる高校生が学ぶ新しい高等学校学習指導要領が改訂されたのは2018年。その内実を検討した中央教育審議会の審議は2014年から2016年となる。「新しい」学習指導要領といってもそれほど新しくはないわけだ。

 学習指導要領は、昭和の時代から、およそ10年ごとに全面改訂というサイクルが定着している。10年もかかる背景には、文科省の検討着手から告示、解説書編纂・周知、教科書編集・出版・採択というチェーンで関連業務が進むからだ。幼稚園、小学校から学校段階ごとに実施時期が異なる上に、高等学校段階は学年進行となるので、完全実施に至るまでには相当の歳月を要することとなる。将来的には、時代の変化に対応できず教育内容が陳腐化することも危惧されかねない。教育DX等により改訂プロセスの効率化や、10年ごとにフルモデルチェンジすること以外のよい方法も見いだせるかもしれない。今後、学習指導要領の改訂プロセスの合理化に関する検討が行われることを望みたい。